本日の東京新聞の夕刊の文化欄に、私が注目している詩人であり社会学者である水無田気流さんのコラムが掲載されていた。
2歳の息子を抱えながらの就活の難しさから、日本の子育て環境を嘆き、民主党の「同一労働・同一賃金」に期待を寄せる一方、オランダの労働政策に学ぶよう提案する。
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本日の東京新聞夕刊から
本日の東京新聞夕刊に、ダミー団体による政治資金規正法違反事件を引き起こした西松建設(東京)が、戦時中に強制連行され、過酷な労働を強いられたとする中国人の元労働者らの訴訟に対して、2億5千万円を信託し、被害救済のための基金を設立することなどを条件に元労働者と和解するとの記事が掲載されていた。
2007年に最高裁は「日中共同声明で中国人個人の賠償請求権は放棄された」と請求を棄却する判決を出しており、戦後補償裁判で、企業が自らの判断で金銭補償に応じるというのは異例であるとのこと。同社によると「会社の今までの問題を見直す取り組みの一環」であるそうだが、私は極めて正しい判断だと思う。会社の方向性の理念を見直す、その第一歩として、国が放棄した戦後補償に遡るというのは、一企業として大変勇気のある英断である。政権交代に絡む政治的背景があるのかもしれないが、これからの西松建設に注目していきたいと思う。
本日の東京新聞夕刊から
本日の東京新聞の夕刊に、東京・山谷地区のホームレス支援に取り組むNPO法人ふるさとの会(東京台東区)の活動が紹介されていた。
同会では、老朽化したアパートを改築し、生活の苦しい高齢者向けに「自立援助ホーム」として賃借し、生活保護費の枠内で運営するモデル作りに取り組んでいる。この「ホーム」では入居者の身の回りの世話をする職員が24時間常駐し、入居者に個室をあてがい、共用食堂で三食の給食サービスを行う。
しかし、生活保護費の枠内では6畳の個室が確保できず、6畳間に壁を作って三畳間にしている。同会の滝脇理事は「民間だけでは三畳が限界。ついのすみかとしては不適当で、公的な支援が必要だ」と説明する。さらに群馬県の老人施設・静養ホームたまゆらの火災について、同理事は「これまで知られていなかった問題が注目されている。悲劇を繰り返さないためこの機会を逃してはいけない」と、支援付き住宅の必要性を訴える。
国の支援が期待できない高齢の野宿者の居住については、行政の施設に頼ることは難しいし、かといってボランティア的な要素が強くても運営は長続きしない。同会のようなNPO法人が主体となって公的な支援を受けながら商業ベースで運営していくのが望ましいのだろう。
同会の滝脇理事は私の学生時代の友人である。経験・学識ともに豊富な人なので、必ずや商業モデルとして普及に導くであろう。
本日の東京新聞夕刊から
本日の東京新聞夕刊の文化欄に精神科医の野田正彰氏へのインタビューが掲載されていた。
第二次世界大戦中、日本がアジアの人々を虐げた事実を告発し、今なお被害に苦しむ人の叫びをとりあげた近著『虜囚の記憶』(みすず書房)についてのやりとりである。
著書の中に次のような記載がある。
侵略戦争についての無反省だけでなく、戦後の六十数年間の無反省、無責任、無教育、歴史の作話に対しても、私たちは振り返らねばならない。戦後世代は、先の日本人が苦しめた人びとの今日に続く不幸を知ろうとしなかったことにおいて、戦後責任がある。
そして、著者は記者の問いに次のように答える。
日本の社会全体が、過去を見つめるというのがどういうことか分かっていないですね。個人のことに置き換えれば、自分がなぜ失敗したのかを考えることは大事だとみんなが言います。でもそれが社会のことになるとなぜ”否認”の方が価値があるのか。
そして、野田氏は読者に次のようなメッセージを伝えている。
社会というのは広い意味で文化を継承していますから、文化を変えていくにはよほどの努力をしないといけない。自分の生きている社会が行ってきたこと、しかもそれを反省せずにいるのに連綿とつながって、自分もまたその中で教育を受けて生きている。それに気付かない限り、平和の 問題を自覚するのは難しいというのが、私の経験に基づく一定の結論です。