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「鈍・鈍・楽」

本日の東京新聞朝刊1面のコラム「筆洗」に、作家の城山三郎さんが人間関係に悩み学校に行けなくなった孫娘に送った「鈍・鈍・楽」という言葉が紹介されていた。
「鈍・鈍・楽」なる不思議な言葉は、次のような意味らしい。

鈍=人間関係に気を使わない。
鈍=まわりが何を言っても気にしない。
楽=そうすれば、どんどん気が楽になり楽しくなる。

次女の井上紀子さんは自著の中で、「父は自分にも言い聞かせるように、周囲の目、声は必要なものだけキャッチして、あとはケ・セラ・セラ(なるようになる)でいけばよいと、優しく諭してくれた」と書いている。

「人間関係に気遣い、周囲への配慮を忘れない」という付き合い方が日本の道徳であるが、そうした滅私的な立ち振る舞いは多大なストレスを抱え、いつか字のごとくに身を滅ぼしてしまう。

まずは、自分の幸せ、自分の生き甲斐、仕事と自分の時間、家族、趣味とのバランスを大切にしながら、そこから生まれた余裕を周囲への気配りとできるような生活をめざしたいと思う。「鈍・鈍・楽」な生き方、まずは参考にしたい。

夕刊コラム「ギャップイヤーは日本には不向き」(再掲)

古紙回収に出してしまった、2月16日付けの東京新聞夕刊がようやく手に入ったので、改めて早稲田大学教授石原千秋氏の「ギャップイヤーは日本には不向き」と題されたコラムについて補足を加えつつまとめてみたい。改めて目を通すと、「ギャップイヤー」と「秋入学」の明らかな読み違えをしていたことに気付いた。

著者は本論の中で、東京大学主導で検討されている秋入学を大学だけが実施すると、入学前と卒業後の半年の2回、計1年間のギャップイヤー(空白期間)が生じてしまうことを問題視している。そして、秋入学を実施するならば、ギャップイヤーが生じないように、幼稚園から大学院、企業官公庁の秋採用まで含めて、国家規模で一気に教育全体の時間軸を変えなくてはならないと述べる。

イギリスを中心に定着しているギャップイヤーであるが、イギリスでは、年間の学費が40万程度であり、原則、学生は政府から融資を受け、卒業後に収入が一定のレベルに達してから長期返済する仕組みになっている。こうした奨学金制度が確立していない日本で、前後1年間もの空白期間を留学やボランティアなどで有効に活用できるのは教育費にかなり余裕のある富裕層に限定されてしまう。多くの学生は「社会経験」という錦の御旗のもと、その中身はチェーン店を中心としたアルバイト従事で終わってしまう可能性が高い。そのため、秋入学を導入する有力大学に進学できるのは富裕層家庭に傾斜し、「学歴の再生産」が進んでしまう恐れがある。

また、日本の大学では、自身の興味と適性を見極めないままに大学に入学してくる学生が多い。そうした学生は大学に入ってから、この大学で、この学部でよかったのかと悩み始める。ギャップイヤー付きの秋入学の導入はそうした悩む時間を与えながら、出直しにはさらに一年間も浪費せざるを得ず、実質的に自分の来し方行く末を真摯に見つめる機会を遠ざけるシステムとなっている。

現在、秋入学は30数校の国公立大学と早慶の2つの私立大学が前向きに検討を始めていると報じられている。国公立大学や一部の有名大学はいいが、1年間もの学費収入のない空白期間を持ち堪えられない私立大学が出てくるのではと著者は危惧する。

著者は最後に「こうした様々な事態を避けるためには、莫大な費用をかけてでも、ギャップイヤーのない秋入学を国家事業として一気に導入するしかない。それが日本に見合ったやり方である」と述べる。

こう見てくると、ギャップイヤーを伴う「秋入学」というのは、週5日制を前提とした「ゆとり教育」に性格が似ている。十数年前の完全5日制導入時の文科省の宣伝文句は、土曜日の休みをボランティア活動にあてたり、家族や自然、芸術スポーツとの触れ合いの機会にしたりするというものであった。しかし、家族揃って土曜日が休みで自然や芸術に触れる余裕があるのは正社員と専業主婦の一部の家庭だけであって、家でゲームやパソコンに勤しむ小中学生や、バイトに興じる高校生が多く生まれる結果となった。また、塾に行くことができる「ゆとり」の時間が増え、公立学校の授業内容の削減と相俟って、ますます親の経済力と学力の相関関係が密接なものになる悪循環に陥っていった。

一部の大学が先行する形で議論が進んでいるギャップイヤーも、半年や1年の過ごし方という時間だけで捉えるべきものではない。親の経済力や大学の資金力で差を付けるような制度というのは、長期的に見ると経済格差がそのまま教育格差へ繋がる「貧困の連鎖」を生み出してしまう。そうした観点で秋入学の記事を読むようにしたい。

障害者雇用 県教委積極採用へ

 本日の埼玉新聞朝刊の一面に、2012年度の障害者雇用について、県教委が県の財源で非常勤職員17人の採用を予定しているとの記事が大きく掲載されていた。県教委の障害者雇用率は11年6月時点で1.67%と法定雇用率の2.0%に届かず、不足数83人は全国ワースト4位であるという。

昨年11年度は国からの緊急雇用創出事業交付金を活用し、41人の非常勤職員を採用したが、雇用期間が1年未満のため、雇用率には反映されなかった。今回の17人は雇用期間が丸1年であり、契約の更新を含めれば3年近く雇用の改善につながるのではないかと思う。

県教育局の説明によると、「職員の9割以上は教員だが、教員免許を持つ障害者が少ないため、教員採用試験の受験者が少ない」と説明している。全国の都道府県教委でも法定雇用率を達成しているのは14教委と3割程度であるという。しかし、これは裏を返せば、教委の障害者雇用の環境が悪いから、敬遠しているとも考えられる。全国で3割もの自治体で雇用率を達成しているので、埼玉県教委も雇用率の達成に向けた息の長い施策を打ち出す必要がある。

今回の県教委の取り組みについて、埼玉労働局の小野寺徳子職業安定部長は「大変大きな一歩を踏み出していただいた。今後も継続して、障害者雇用の促進に努めてほしい」と評価している。

また、県内に本社を置く企業の障害者雇用率も1.51%と法定の1.8%を大きく下回り、全国最下位に低迷している。都内に職場を求めている人も多いのであろうが、まずは国や自治体が率先し、県全体の雇用の改善に向けて動き出してほしいと思う。

「珍企画に書店も注目」

本日の東京新聞夕刊に、「マニアック本」編集者として知られる、社会評論社の濱崎誉史朗氏の紹介コラムが掲載されていた。
濱崎氏は、自らを「珍書プロデューサー」と名乗っており、これまで『エロ語呂世界史年号』『いんちきおもちゃ大図鑑』などの奇妙な本をを世に送り出している。濱崎氏は、社員数4人の小規模な出版の強みだとも語る。

社会評論社というと、学生時代にお世話になった会社であるが、社員数が4人とは知らなかった。ホームページを見ると、実に多彩な本を刊行していることが分かる。本離れの現在、ネットに負けない本をどんどんと送り出してほしい。

社会評論社 濱崎誉史朗公式サイト ハマザキカク

「ギャップイヤーは日本には不向き」

本日の東京新聞夕刊の文化欄に、早稲田大学教授の石原千秋氏の「ギャップイヤーは日本には不向き」と題したコラムが掲載されていた。

東京大学主導で検討され始めた秋入学は、入学前と卒業後の半年の2回を基本としている。つまり大学は4年制から実質5年制になるのである。この前後合わせて1年間ものギャップイヤーを謳歌できる経済的なゆとりのある学生は、保護者の収入が全国で一番高い東大などの一部の大学に限られてしまう。また石原氏は、「この大学、この学部でよかったのか」と、自分探しを始める若者が多く出ると予想する。悩むこと自体は悪くないが、出直しのためにさらに一年間を空費しなければならず、やり直しの機会を逆に遠ざけるシステムだと指摘する。また、学費収入がない期間を設けることで、体力のない私立大学は淘汰され、有力大学を選別する機能を果たすことになると述べる。

石原氏は、こうした様々な事態を避けるためには、莫大な費用をかけてでも、幼稚園から大学院、さらには企業の秋採用まで含めて、国家規模で一気に秋入学を導入するしかない、それが日本に見合ったやり方であると結論づける。

確かに、東大を頂点として序列化された日本の公教育においては、ゆとり教育が「東大教育学部ー文科省・中教審」の連携から実施されたように、東大主導でしか変わらないという現実がある。しかし、入学後すぐに学校生活を中断してしまうゴールデンウイークや、ここ数年の酷暑を考えると、9月入学7月卒業というのは日本の教育にすぐ馴染んでしまう気がする。

石原氏は「国家規模で一気に導入するしかない」と皮肉るが、教育関連の法規の改定も絡んでくるので、やはり国家事業として導入するしかないだろう。

秋入学に対する一番の抵抗者は、卒業式、入学式を彩る出会いと別れの象徴である桜に思いを寄せる日本人の感性となるかもしれない。