「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり、予もいづれの年よりか、片雲の風に誘はれて漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへて、去年の秋、江上の破屋に蜘蛛の古巣を払ひて、やや年も 暮れ、春立てる霞の空に、白河の関越えむと、そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて取るもの手につかず、股引の破れをつづり笠の緒付け替へて、三里に灸すゆるより、松島の月まづ心にかかりて…」
「奥の細道」の序章の一節で有名な文章であるが、芭蕉という放浪俳人が一体何を目指したのか、確かめたいと思い、芭蕉の足跡を辿る旅に出た。
須賀川で学生時代の友人のお別れ会に出席し、その後福島県の土湯温泉温泉にて一泊した。土湯温泉は東北でも有名なこけしの名産地である。
福島市を抜けて、文知摺観音へ
顔が写るという鏡石をバックに。
〈しのぶの里〉
あくれば、しのぶもぢ摺の石を尋て、忍ぶのさとに行。遥山陰の小里に石半土に埋てあり。
国道115号を直進し、相馬市までゆったりと流してきた。お盆のピークだというのに、観光客はまばらである。松川浦大橋を望む
国道4号、仙台東部道路を繋ぎながら、松島までやってきた。日本三景の一つである、案の定、今夏を象徴する曇り空である。
宮城県松島湾を一周する観光船より
時間も遅くなり、入場することは出来なかった東北四寺に数えられる瑞巌寺の参道
写真写りが悪いが、歌枕として有名な末の松山である。国道沿いの住宅地に囲まれた中にあり、探し出すのに苦労した。400年前に書かれた「奥の細道」においても「松のあひあひ皆墓はらにて、はねをかはして枝をつらぬる契りの末も、終にはかくのごときと、悲しさも増り」と既に歌枕としての風景を失っていたことを示している。
2日目
岩手県一関市の県道の標識。解像度が低いので読みにくいが、「鬼骸骨」という変わった地名の標識である。
岩手県遠野市伝承園より
柳田国男が「遠野物語」を筆録する際に、当地の昔話の話者となった佐々木喜善の記念館がある。