本日、首里城と沖縄ワールドを見学した。
首里城の資料館には5年ぶりに入ったが、中国と日本の間にあり、勢力のバランスを保ちながら国を維持してきた琉球王国の知力を感じた。
また、沖縄ワールドでは全長5キロ(公開は890メートル)に及ぶ玉泉洞という鍾乳洞に入った。
観光客を喜ばせるために、目につく所のあちこちに「銀河街道」やら「昇龍の鐘」といった愛称が冠せられた立て札が立てられているのだが、思いっきり興ざめであった。自然が生み出す一幅の絵に言葉は要らない。
「学習・学び」カテゴリーアーカイブ
都内サイクリング〜第五福竜丸展示館
10時近くなって出発する。南桜井の三井団地の中を抜け、江戸川サイクリグロード右岸を走る。
途中、三郷でスーパーに立ち寄る。確かこの駐輪場のスペースは、学生時代にバイトで「ラッキーマン」というキャラクターのショーをやった場所ではないか? 正月の初売りセールの客寄せで、「努力マン」という着ぐるみを被って、カセットテープに合わせて振りを付け、子どもと握手をするというバイトだったので、鮮明に記憶に残っている。但し、場所となると、20年以上も前なので記憶も定かではない。
江戸川右岸を走ったので、そのまま旧江戸川に入る。工事中や未整備のところも多く、回り道をしながら進む。でもそんな寄り道した風景の方が印象に残っている。
写真では分かりにくいが、シンデレラ城とセンターオブジアースが見える。
湾岸線も工事中だったので、シクロクロスよろしく、あちこち担いで進む。
たまたま通りかかった第五福竜丸展示館に立ち寄る。1954年3月1日、マーシャル諸島ビキニ環礁でアメリカがおこなった水爆実験により被ばくした静岡県焼津港所属の遠洋マグロ延縄漁船の第五福竜丸が展示されている。下から見上げるように展示されておりなかなか迫力があった。しかし、第五福竜丸は建造当時はカツオ漁船であり、日本近海での漁を目的とした全長30メートルの木造のちっぽけな船である。1950年代になり、米軍によって規制されていた日本の遠洋漁業が解禁になり、無理くり遠洋仕様に仕立てたのである。失礼な話だが、こんなボロい船で太平洋の真ん中まで航海していたという事実に驚いた。
ひととおり見学した後、他に観客もいなかったので、ボランティアのおばさんにガイドをお願いした。
第五福竜丸に積んであった「原子マグロ」は築地市場の地下に埋められたそうだ。また、米軍より200万ドルの見舞金が出たことで、水爆実験の反対運動も尻すぼみになったとのこと。展示にもあったが、第五福竜丸は、ゴジラと同様に、現在の日本社会で生きていると実感。
夢の島から、隅田川沿いをうろうろしながら、浅草駅まで走る。スペーシア改めスカイツリーライナーで帰ってきた。車両も新しくなり、自転車を置くスペースも確保されていた。ビール片手に快適なひと時を過ごした。
都立 第五福竜丸展示館 Official Site
さあ、残り1年
先日、ここ数年の懸案だった試験が終了した。
まだ結果は出ていないが、出来は芳しくなかった。
しかし、わだかまりがスッキリと解消し、道筋が見えるようになった。
じっくりとこれからの1年間を使っていこう。
研修配布のプリントから
研修の配布プリントから
ストレスに強い人の考え方
- 「まあ、いいか」と受け流す
- マイペースを保てる
- 人生は思い通りにならないと思う
- タイミングが悪かったと考える
(誰のせいにもしない) - 相手の事情も想像できる
- 何事も経験と思う
- 周囲に頼れる
- 実逃避が上手
なるほどなと思う。