明日から聖学院大学というところへ図書館司書教諭講習に出掛ける。大学で学ぶというのは久しぶり(いや初めてなのではないか?)なので楽しみだ。しかし夏休みの大半が講習で潰れてしまうのは痛い。せっかくの機会なので授業受けながらいい刺激をもらいたい。
「学習・学び」カテゴリーアーカイブ
図書委員会通信
現在図書委員会の顧問をやっており、先日委員会の通信を発行した。その一部を抜粋してみよう。
新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。また2・3年生もこれからが高校生活の本番となります。
さて、高校時代の3年間は思いっきり読書ができる時間でもあります。是非良い本に巡りあって、高校生活に豊かな彩りを加えて欲しいと願います。ある一人の作家の本をとことん読み、その作家のことを好きになっていくということは、人生のこの上ない幸せです。人は常に孤独と向き合っています。特に若い人はもしかしたら自分は誰からも理解してもらえないかもしれないという孤独にかられます。だから、人は「寂しい自分」から逃れるために友人恋人を求めます。そしていつのまにか向き合うべき自分を忘れていきます……。文学というものは難易の差こそあれ、一人の作家の孤独の表現と言い換えることができます。読書というのは単に国語の点数が上がるだけのものではなく、作品の登場人物の心を知ることから、その作家の他人や社会からの孤独が理解でき、そしてそれを読んでいるあなた自身と出会うことができるものなのです。
若い君たちにとって一冊の本との出会いが人生の針路を決めることもありましょう。残念なことに、人間はいつまでも多感ではいられません。歳をとるごとに感動することが難しくなってきます。中年になっても素晴らしい本や映画を楽しむことはできますが、それがこれから将来を決める決定打にはなりえません。高校時代にこの本に出会っていたらと後悔することの繰り返しばかりです。人との出会いも本との出会いも一期一会です。繰り返しますが、是非素晴らしい本との出会いを期待しています。現在オススメの本の一覧を図書室の壁に掲示してあります。どの本も人生を変える、もしくは狂わせる力のある本ばかりです。
真の学校
今「20世紀の名言」というメールマガジンをとっている。明日に始業式を控え、ここしばらく、魅力ある授業をどう作ればよいのかと考えていた。○×式の受験テクニックではない、「答えのない授業」について考えてみたが、どうもこれといった結論が出ない。そのような悶々とした中で、今日配信されたメールの名言は印象的だった。
教師の側から知識を授けるよりもまず知識を
もとめる動機を子どもたちがもつような学校が、真の学校である。
デューイ (アメリカの哲学者)
言われてみれば当たり前のことであるが、現場で具体的にどう実践していくかというのは難しい。短期的には子供たちの興味を引き伸ばしていく授業は出来ても、それを継続していくことは教員の側の負担も大きい。国語教育においても、本に書かれている事柄を解説することは簡単だが、では子供たちに読書の面白さを伝えるにはどうすればよいのだろうか。はたと考え込んでしまう。先日の公明党による「こども読書推進法案」のように法案を作るのは簡単だが、インターネットや携帯電話がすっかり普及した現在、多少の忍耐力を要する読書に目を向けさせることは難しい。むしろ教科書会社からもらう「指導書」に沿って一方的に授業展開する方がよっぽど手が抜けてよい。そもそもそうした授業に馴らされた、自分の意のままに動き、飲み込みが早く、かつ反論をしない生徒が教員にとって一番楽なのだ。意図しないような反応、意に沿わない答えを持ってくる生徒は教員にとってうとましい存在になる。読書一つを巡っても、まさに教員の側の度量が問われるであろう。
初めての卒業式
先日担任としての初めての卒業式が終わって、その夜鬼怒川温泉に出掛けた。周辺は植林杉に囲まれており、花粉症がよりひどくなったようだ。昨日から頭痛めいたものが抜けない。卒業式が終わったにも関わらず、送りだしたという感慨はまだない。今日も生徒が卒業した教室を清掃しながら、また明日からホームルームが行われるような気がしてならない。来月新入生を迎えてから実感が湧いてくるのだろうか。
成長と教育
技術の話で思い出したが、先日永六輔のラジオ番組で埼玉の行田にできるものつくり大学の話が出てきた。ものつくり大学はKSDの問題とセットで報じられたのでマイナスイメージが付きまとうが、建学の理念である、手を使って何かを作り出すことの大切さを伝えたいというメッセージは耳に残った。最近の高校生の憧れる職業の上位に大工や花屋が入っているが、ここ三十年程軽視されてきた手を使って材料を組み立てて一からものをつくるという極めて現実的な作業が、彼らには新鮮に映るのだろう。手を使って何かをつくる作業に没頭するという経験が、子供が自然と離れ、そしてテレビゲームが家庭に入ってきて希薄なものになっている。
昨年の全教の全国大会の議論の中で、教育の根幹は、「子供に自己肯定観と達成感を与えることだ」とあったが、まさに手を使っての作業にこそ、今後の教育の理念が隠されているのではないだろうか。竹馬や竹とんぼや花飾りを作ったり、プラモデルやジオラマを集中して作り、それを周りが理解するという当たり前のことが忘れ去られて久しい。翻って考えてみて現在の教育でそのような「つくる」という感覚をどれだけ重視しているだろうか。「新しい歴史」までつくる必要はないが、各教科、教科外教育の中でで頭よりも手を使うことの大切さを教えていくことが求められるだろう。