森本雅樹『望遠鏡をつくる人びと』(岩波書店 1972)を読む。
ちょうど東京大学・ 理学系研究科・ 天文学教育研究センターが南米チリのアタカマ砂漠に、世界最高水準の口径6.5m の赤外線望遠鏡を建設し、運用がスタートする時期だったので手に取ってみた。
著者は電波望遠鏡を専門とする学者で、野辺山宇宙電波観測所の建設にも尽力された方である。
現在三鷹にある国立天文台は、当時東京大学附属東京天文台と呼ばれており、東京大学理学部の実験室となっていた。現在でも天文台=東京大学という図式は変わらない。
森本雅樹『望遠鏡をつくる人びと』(岩波書店 1972)を読む。
ちょうど東京大学・ 理学系研究科・ 天文学教育研究センターが南米チリのアタカマ砂漠に、世界最高水準の口径6.5m の赤外線望遠鏡を建設し、運用がスタートする時期だったので手に取ってみた。
著者は電波望遠鏡を専門とする学者で、野辺山宇宙電波観測所の建設にも尽力された方である。
現在三鷹にある国立天文台は、当時東京大学附属東京天文台と呼ばれており、東京大学理学部の実験室となっていた。現在でも天文台=東京大学という図式は変わらない。
今野浩『すべて僕に任せてください:東工大モーレツ天才助教授の悲劇』(新潮社 2009)を読む。
東工大で金融工学の先鞭をつけた白川浩さんを東工大へ引っ張ってきて、一緒に応用数学を活用した。著者は白川氏
白川浩
川島誠『海辺でLSD』(角川書店 2006)を読む。
1993年に雑誌で発表された短編小説に、時間を置いて連作された小説である。
高校生のちょっと非日常的な出来事を通して、少し成長する話である。正直つまらなかった。
毛利嘉孝『はじめてのDIY:何でもお金で買えると思うなよ!』(ブルース・インターアクションズ 2008)を読む。
「DIY」といっても、家の修理や車の整備ではない。「DIY」について筆者は次のように説明する。
まずは、じぶんでやってみよう!
あっ、でもj人を追い立てようというものではありません。似たようなメッセージの広告に、Just Do it なんていうのがありますが、あれはどこかで追い立てられている感じですよね。
やるしかない→がんばるしかない→戦うしかない→勝つしかない→(なぜか)買うしかない。
という図式が背後に見え隠れします。
でも、DIYは、そんな競争はくだらないから降りよう、という思想です。
やんなくてもいいし、がんばらなくてもいいし、戦わなくてもいいし、勝たなくてもいいし、(もちろん)買わなくてもいい。
けれども、そんなことしなくても、別の、とっても豊かな生活がじつは存在するんだ、ということに気づかせてくれるのがDIYなのです。
もっといえば、そんなことしないから、そしてお金なんか使わないからこそ、豊かになるんだ、ということをDIY的な実践が教えてくれるのです。
お金を使わないことーー商品が支配する世界に従属しないことが、DIYの精神なのです。
後半では、高円寺商店街でリサイクルショップを展開する「素人の乱」が取り上げられている。まさに、筆者のいうDIYをそのまま体現化したお店である。
代々木公園には、九〇年代の中頃から住む場所を失ったひとたちが流れ込んできました。バブル景気の崩壊のあと、仕事にあぶれ、住む場所も失ったひとたちは、九〇年代は駅周辺に生活していたのですが、それも行政によって追い出され、しかたなしに公園で生活するようになったのです。彼らは、ブルーシートやテントの家を作り一種の村、コミュニティを形成しました。
エノアール(野宿者による野宿者のための交流の場)は、しばしば孤立しがちな公園生活者のためのゆるやかな共通の場を提供してきました。物物交換といい、絵を描く営みといい、そうした交流を促進するためのしかけなのです。そういえば、社会学者のユルゲン・ハーバーマスは、だれであれ自由に意見を交換するカフェやサロンを「公共圏」と呼び、民主主義の発達の重要な場として定義しました。エノアールはそうした意味で現在数少なくなった「公共圏」という感じがします。ハーバーマスが議論した一九世紀の「公共圏」は、あくまでも特権的なブルジョワ階級しかアクセスできないものでしたが、それと対比して、このエノアールカフェは「ホームレスの公共圏」とでも呼ぶべきかもしれません。
倉田勇雄『山田村の行進曲はインターネット』(くまざさ社 1997)を読む。
かつてはパソコン普及率日本一を誇り、現在は富山市に吸収合併されてしまった山田村でのインターネットの普及の奮闘記である。