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「生きる手法~格差と貧困を超えるために」

本日の東京新聞朝刊に、姜尚中東大大学院教授と作家雨宮処凛さんとの「生きる手法~格差と貧困を超えるために」と題した新春対談が二面にわたって掲載されていた。姜氏は戦後日本社会が山谷やあいりん地区などの寄せ場労働者、在日朝鮮人や三井三池闘争での炭鉱労働者など難民を連綿と作り出す社会であったと論じる。一方で雨宮さんは数々の運動を踏まえ、現場から声を上げることで社会は変わる、そして、資本の論理による分断や競争から解放されるような場を作り出すことが大切と述べる。最後に雨宮さんと姜氏は次の言葉で対談を締め括る。先月読んだリサイクルショップ店長松本哉氏の主張とよく似ている。

雨宮:渋谷や新宿で、トラックにスピーカー乗せて音楽をかけ、みんなで踊りながらデモをやっています。五百人で始めると沿道から人が加わり、倍になる。何の意味があるんだろうと言う人もいるけれど、そういう光景を突然路上に出現させること自体が重要だと思う。

姜:日本はこの二十年で都市がこんなにきれいになったけれど、そこに人々を沸き立たせるようなものが途切れて久しい。若者の鼓動が聞こえない。ソウルに行くと、地下鉄に物売りがくる。ニューヨークだと「おれがホームレスになったのはこういう理由だ」と演説をぶつ人がいる。日本は細かいところで順法意識がものすごく強い。僕は食えない人は勝手に物を売ったりとかしていいと思う。社会にもの申すことを根っこから刈り取って無菌状態にしてしまうと、社会が自家中毒を起こし、ひどい結果になります。

本日の夕刊

本日の夕刊の作家星野智幸氏のコラムが目を引いた。「右傾化」、そしてその延長としての「自由経済礼賛」の起源が1999年にあるという彼の指摘は共感できる。1995年の阪神大震災とオウム事件によって社会の不安が増大し、警察の活躍を鼓舞する番組が乱発され、それらを囲い込むように「国家」が法的に前面に現れだしたのがちょうど1999年辺りだったと思う。

来年は2009年だが、1999年の日記に私は次のようなことを書いている。
「1999年は日本の右傾化元年だと記憶することにしている。右傾化とは、国旗国歌法や通信傍受法を成立させガイドライン改定を行なうといった出来事だけでなく、自己を何か曖昧で集団的なものに委ねることが本格的に始まった動きを指す。オウム真理教の代わりに、誰もが納得でき言い訳の立つものに帰依しようとしている。そして政治がそれにお墨付きを与える」
当時の私は、「何か曖昧で集団的なもの」が「日本」であり、ナショナリズムが沸騰して全体主義的な暴走を始めることを危惧していた。
けれど右傾化十年目を迎える今の社会を見渡せば、日本社会がいかに壊れているかばかり目立ち、国に「誇り」を持つどころではない。
今から思えば、十年前に起こっていたのは、「国権の発揚」だったのだろう。それまでの主権在民を尊重する姿勢をかなぐり捨て、国家が権力をあからさまに振るい始めたのだ。九〇年代の停滞を一気に変えてくれるかもしれないと期待して、小渕政権や小泉政権に帰依した結果、国民は国の経済に奉仕する奴隷と見なされた。「日本」に身を委ねれば委ねるほど、隷属させられ、搾り取られ、使えなくなれば捨てられる。
この状況を一気に打開してくれるカリスマを求めるような真似はもうやめにして、来年こそは自分たちで変える意思を持とうではないか。この十年をさらに悪い形で繰り返さないためにも。

本日の東京新聞朝刊

本日の東京新聞朝刊の「本音のコラム」に「動物農場化」と題したジャーナリスト堤未果さんの文章が載っていた。ソフトな語り口から、社会状況に話が拡がっていき、そして自己の置かれている立場へ話が展開していく、左派系団体の上品なビラ文のような文章である。
小論文指導の上でも、是非参考にしたい流れである。

G・オーウェルの「動物農場」のアニメが今月から上映される。搾取されていた動物たちが革命を起こし人間を追放、動物だけの農場を始めたが次第に情報操作や監視社会化が進み、気づいた時には一部の特権階級の豚の下、再び搾取されていたという有名な寓話だ。
この映画を初めてみたのは米国留学中で、どれだけ働いても平等に扱われない動物たちの姿に私たち学生は胸を痛めて怒りを覚え、政治学ではモデルになったレーニン独裁政権のレポートを書かされた。一体あの時誰が予想しただろう。時が流れて今度は自分たちの住む社会が「動物農場化」することを。富と権力が一部に集中し、顔のない大量の労働者が這いあがれない仕組みの野か、使い捨てにされる。その仕組みをつくる肝心な政策は教育・情報格差により一部の豚にしか理解できないため、政治に無関心になる動物たちが知らぬ間に決められた法律に従う社会。寓話はそれが現実の向こう側にある限り、私たちを冷静で心優しい傍観者でいさせてくれる。
だが自国にとって「動物農場」がもはやエンターテインメントでなくなった時、人はそれぞれの武器を再び手にするだろう。教育やペン、思いを共有する仲間やまだ失われていない一票の力。革命は一夜で消える炎ではない。半世紀たって豚たちの顔は変わり、私たちは試され続けている。

本日の東京新聞夕刊

本日の東京新聞夕刊に、東京都が都内の障害児学校(盲・聾・特別支援学校)に設置した寄宿舎を段階的に廃止していることに対して、保護者らが再考を求め、都議会に請願するための街頭署名活動を展開しているとの記事が掲載されていた。

記事によると、都は4年前に「特別支援教育推進計画」の中で、寄宿舎を2015年までに地域バランスを考え5つに減らす方針を発表した。その方針に従い、昨年度までに2校、そして来年度は立川聾学校、2010年度には江戸川特別支援学校の寄宿舎を閉鎖するということだ。公共交通機関の発達やスクールバスの充実などで通学が難しい生徒が減ったというのが大きな理由だ。それに対して保護者の一人は「安心して楽しい時間を過ごさせてあげたいという願いを、なぜ聞き入れてもらえないのか」と都の方針に反発を強めている。

記事を読んでの感想だが、交通事情や利用人数だけで廃止を推し進める都の方針は、一人一人の教育的ニーズを支援するという特別支援教育のそもそもの理念に反することなので賛成できない。しかし、単に安くて安心だからと特別支援学校の生徒しか入れない寄宿舎を残すことも、卒業後の福祉や医療と教育の連携を謳う特別支援教育の考え方に反する。

特別支援学校の「寄宿舎」と一括りに捉えるのではなく、あくまで生徒一人一人の教育的ニーズと卒業後の進路を見据えた教育的支援という観点から考えなくてはならない。一般に盲・聾学校については、発声や手話など一貫した教育課程を持っているので、寄宿舎は残すべきであろう。一方で特別支援学校(養護学校)については卒業後を考えて、寄宿舎ではなく、地域の施設の弾力的な活用を考えていくべきだと思う。