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「入試から小説が消える」

本日の東京新聞夕刊コラム「大波小波」より引用

 いとうせいこうの自作の教科書掲載拒否問題が先日来本欄で取り上げられているが、もちろん作者に自作の表現に関する全権があるにせよ、教科書と文学の問題にはもう少し配慮が払われてよい。
 「保守派」氏は教科書は「評価の定まらぬ当世風の文学よりも、日本語の規範とすべき文学を優先して掲載すべき」だと言うが、文豪の文章は生前から教科書に採られていた。それによって教科書が「評価」や「日本語の規範」を定めてきた。生きている間に載らなかった作家が、死後突然評価され、教科書に掲載されることの方が珍し。だからこそ、教科書によい作品を載せたいと編集者は苦心する。現在進行中の教育改革によって高校国語教科書は大きく変わろうとしているのをご存知だろうか。高校二・三年の「現代文」を「実用国語」と「文学国語」に分け、選択制にするというのだ。そしてセンター試験の後継テストから小説は姿を消す。
 これによって入試から解放される文学が、教室で「正解」に囚われず、より自由に羽ばたく可能性が出てきたとは言えるが、入試から外された選択科目として「文学国語」は生き残れるだろうか。やがて教科書での出会いのなくなった文学そのものは…。(懐疑派)

「現代文のない現代文教科書」

本日の東京新聞夕刊文化欄の「大波小波」コラムが面白かった。読み終えた後、思わず「その通り!」と心の中で叫び声を上げてしまった。
文章も大変簡潔でも分かりやすかったので、練習も兼ねて全文を書き(打ち)写してみたい。

 いとうせいこうが自作の教科書掲載を拒否したことがネットで話題になっている。教科書会社側から「商品名を伏せ、『馬鹿』という表現を変えて欲しい」という依頼があったことに対し、いとうはツイッターで「”天下の教科書ですよ!”というわけだ。小説を変えていいと思う人が国語の教科書を作っている」と書いた。
 元教科書編集者を名乗る人が反論し、商品名や罵倒語があると文科省の検定を通らないがゆえで「教科書編集者=天下の教科書だと思っている人、ではありません」と言うのに対し、いとうの答えは「だから、載せなくていい」とだけで、あまりにそっけない。
 商品名や「馬鹿」の一言が作品全体にどれほどの影響を与えるのかは場合によるので一概には判断できないが、現行教科書に載っている作品はほとんど検定を通すため何らかの改変を被っている。大家の作品はそうやって多少の改変を経て読み継がれてきたのだ。
 忙しい教員たちが古い定番作品を好む中で、新しい作品を読ませようと編集者たちは努力している。にもかかわらず天下の作者様が無理解を通すなら、そのうち改変に文句の出ない著作権切れの作者ばかりになるだろう。それを現代文の教科書と呼べるのだろうか。(TPP)

いとうせいこう氏に対して、彼自身の言辞を利用して「天下の作者様」と断じてしまう歯切れの良さが印象に残った。確かに、現場の高校の国語の教員は、TPPの指摘する通り、年齢を重ねれば重ねるほど、指導しやすい古典を好むようになる。しかし、教科書に載っていれば指導上扱わざるを得ず、教員の側も教材研究を迫られるようになる。異論反論はあろうが、刺激的な小説や過激な評論ほど教科書に掲載されてほしいと切に思う。

「地政学ブーム」

本日の東京新聞朝刊の佐藤優氏の「地政学ブーム」という題のコラムが興味深かった。
記事によると、最近地政学がブームになっており、単行本や新書の新刊が続いているそうだ。地政学のポイントは、長い時間を経過しても、変わらないもしくは変わりにくい要素を踏まえて国際関係の構造を大づかみにするところにある。具体的に言うと、地理は時代を経てもあまり変わらない。軍事に飛行機や人工衛星が使われるようになっても、アフガニスタン、イラク、チェチェンなどの山岳地帯を攻略することは難しい。こういう情勢を分析するときには地政学がとても役に立つ。
佐藤氏によると、現在、ロシアの大学で、将来、エリートになる学生は地政学を必ず学んでいるという。また返す刀で、居酒屋論議のような地政学書が書店に蔓延している日本の現状を憂えている。

われらがわれに還りゆくとき

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元プロ野球選手の清原容疑者の逮捕のニュースで、テレビも新聞もネットも大騒ぎの一日であった。
そんな中、本日の東京新聞夕刊の文化欄の連載特集「一首ものがたり」で、道浦母都子さんが取り上げられていた。
1968年10月21日のベトナム戦争反対を訴える国際反戦デー、世に言う新宿騒乱事件で逮捕された道浦さんが読んだ歌

調べより 疲れ重たく 戻る真夜 怒りのごとく 生理はじまる

に込められた作者の思いと時代的背景が分かりやすく解説されている。
最後に道浦さんは次のように語る。

結局、人間はひとりなんです。だけど、あるとき「われら」の幻想を抱いた。つかの間の幻想でした。全共闘って何か、わからない。一生わからないと思います。