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政党助成法廃止法案

本日の東京新聞朝刊だが、「生活の党と山本太郎となかまたち」(^ ^)の人事に関する記事と、新党「日本を元気にする会」(ー ー;)の会派名変更の記事の隣に、これ見よがしに、共産党が政党助成法を廃止する法案を衆院に提出したとの記事が載っていた。
志位和夫委員長は記者会見で、「国民一人当たり250円を、支持していない政党にも寄付させられる憲法違反の制度だ。多くの党で過度な依存状態が生まれ、堕落を招いている」と理由を説明している。
一概に政党助成法を悪法だと決め付けることはできないが、政党助成金を受け取る基準を満たすためだけに離合集散する政治屋の報道を見るにつけ、然もありなんと思ってしまう。

自己責任論

本日の東京新聞朝刊コラムに、イスラム過激派「イスラム国」とみられるグループに邦人2人が人質に取られた事件で、「自己責任」という批判が国内から上がっている背景について取り上げられていた。記事によると、ネット上には「自分で勝手に行って迷惑をかけてる」「自己責任でいいんじゃないの。戦場なんだから」という書き込みが相次いでいるそうだ。

こうした主張について、北海学園大の本田宏教授は「被害者側に落ち度はある。だが、それとは無関係に、国家には国民を救う義務がある。本来、守られるべき国民の側から『自己責任』と突き放すのは、はなはだおかしい」と首をひねる。

日本弁護士会連合の会長を務めた宇都宮健児弁護士は「Franceでは風刺画が原因のテロ事件後、大統領が反テロの大行進に参加した。殺人は最大の人権侵害と認識されているからだ。日本では個人の人権より、国家が先に来る。戦前の全体主義的な考え方から抜け切れていないから、巻き起こる」と苦言を呈している。

また、昨年、「自己責任論の嘘」を出版した宇都宮弁護士は、多重債務問題と合わせて「『高金利を知ってて借りた。自己責任だ』と多重債務者は責められるが、実は本人が一番責任を感じている。生活保護バッシングも似ている。人質事件の被害者も責任を感じているはずで、彼らを責めることは弱い者いじめでしかない」「非正規雇用による貧困問題も、無責任な政治家による制度の欠陥の放置による要因が大きい。それを覆い隠すには自己責任論が便利」と指摘する。

本田教授も宇都宮弁護士に同意し、「自己責任論は政府を無責任にする。結果として、問題が起きても政府は何もせず、『自分でどうにかしろ』ということ。新自由主義の台頭とも関係があるのだろう。国民の側から言いだすべき言葉ではない」と述べる。

この「自己責任」という言葉の扱いについては注意したい。今回のテロや多重債務、生活保護といった政治問題だけでなく、私もついつい相手に責任をなすりつける便利な言葉として多用してしまう。だが、その言葉の裏には、丁寧に責任をもって説明なり説得をしてこなかったこちらの側の瑕疵が含まれていることを忘れてはならない。

「三月入学」

本日の東京新聞夕刊の一面コラム「紙つぶて」に、京都大学経済研究所の梶井厚志教授の「3月入学」改革案が載っていた。
梶井氏は、予算年度と合致して便利というだけの4月入学に合わせるために、センター試験をわざわざ悪天候で体調不良者が出やすい1月中旬に行う慣行に異議を唱える。そして次のように述べる。

 三月入学にして、現行の学年層を一カ月前倒しすれば、何事もはるかにうまく行くだろう。センター試験は十二月中旬になるから、雪やインフルエンザの問題も少ない。一月は授業がなくなるから暖房も節約でき、前期の授業は六月中旬に終了するから冷房も助かるゆえ、大変エコである。ゴールデンウィークも一学期目の中休みとしてちょうど良い。ついでながら、大学教員は六月七月に集中する欧米の学会に顔を出せるようになろう。

3月入学は、2、3年前に話題になった「秋入学」よりは現実的で、現行からの移行もスムーズだと思う。ネットで調べてみると、隣国の韓国も3月入学を実施している。また、欧米の大半は9月入学なので、3月〜8月を前期、9月〜2月を後期とすれば、海外への留学も、海外からの留学生受入もやりやすくなる。少なくとも梶井氏の指摘する通り、4月よりはメリットばかりのように思う。
今まで、入学式は桜で彩られるというイメージが強かったが、暖冬の影響でどんどん桜の開花時期は早まっており、実際は4月8日の入学式前に散っていることが多い。また、3月中旬の入学式であれば、桜舞い散る中で学校生活がスタートしていく風景が見られそうだ。

「知でつながる:それぞれの場」

今週から東京新聞夕刊の文化欄に、「知でつながる:それぞれの場」と題して、日本各地に広がりを見せつつある私塾や哲学カフェ、読書会などの語り合いの場が特集されている。
一昨日は福島大教授の小野原雅夫さんが世話人を務める「てつがくカフェ@ふくしま」、昨日は武道家・思想家の内田樹さんが主催する「凱風館寺子屋ゼミ」が紹介されていた。そして本日は東浩紀さんが代表の株式会社「ゲンロン」が運営する「ゲンロンカフェ」の模様が紹介されている。

「てつがくカフェ@ふくしま」の世話人小野原さんは、哲学カフェの意義について次のように語る。

一人一人が自分で考え、話合ってものごとを決めていく力が失われている。民主主義は愚かな選択に陥りやすい性質もある。特に原発事故以後、ひどくなっていると感じます。事故が終わっていないことすら忘れ去られている。専門家ではない人たちが、それぞれの体験に基づいて議論しあうことがまずは必要だと思う。

また、「凱風館寺子屋ゼミ」の内田樹さんは、ゼミの目的について次のように語る。「知の解体」というフレーズは印象に残る。

 ゼミ生が感性的、知性的に成熟する「市民的成熟」を支援して、日本の未来を支えてもらうことです。こうした小さいサイズの私塾は最近、私の知人の間で燎原の火のごとく広がっています。ほとんど大学関係者です。大学が機能していないからです。
高等教育の基本は自分自身の知的枠組みの閉鎖性を自覚し、それを解体して再構築する作業です。だが、今の大学は、グローバル企業の収益を高める人材を育成する専門学校化している。こんなことをしていたら国が滅びる、という危機感がわれわれを動かしている。

そして、本日取り上げられていた東浩紀さんは、ゲンロンカフェの運営について次のように語る。語りの質を保障する「時間」「空間」に着目している。

 言論、つまり人が物を考えてしゃべることの魅力を突き詰めていきたい。この2年間で百回以上のイベントに出ましたが、対談というのは1時間半くらいして、相手が心を開き始めてようやく面白くなる。そこで「定刻です」と打ち切っては何も始まらない。時間や制約を気にせず柔軟に運営するには、空間そのものを作るしかない。しらふの人間が2時間しゃべるだけでは、自分の立場が有利になるような発言しかしないんです。突き崩すのはすごく大変で、コストがかかる。でも、それをおろそかにしてきたから今の論壇はつまらなくなり、日本人は物を考えなくなったんだと思います。


Link
 □ てつがくカフェ@ふくしま
 □ 凱風館寺子屋ゼミ
 □ ゲンロンカフェ

「2015年 関ヶ原の戦い」

sekigahara

本日の東京新聞夕刊の一面は、江戸幕府の誕生につながる天下分け目の合戦があった「関ヶ原」を世界三大古戦場の一つとして売り出そうと、地元自治体が今年から観光開発に乗り出すという記事であった。南北戦争の地となったAmerica・Gettysburg、Napoléonが敗れたBelgië・Waterlooの取り組みを参考に、展望台や案内施設を整備し、両古戦場との交流も始めるとのこと。
つい、1週間ほど前に関ヶ原を訪れ、何の痕跡もない田んぼが広がる景色の中をドライブしてきたばかりだったので、少し意外な感じがした。確かに関ヶ原の戦いの歴史的な意義は大きいが、戦いの地であるだだっ広い原野に何か特別な意味があった訳ではない。武士の時代はとうに終わり、現在では平和な片田舎になっているという時間の流れにこそ意味があるのではないか。