本日の東京新聞朝刊に、特定秘密保護法に反対する大学生が取り上げあられていた。学生の主張の中身よりも、そのスタイルの新鮮さ(?)に注目した内容となっている。このような金にもならない記事を掲載し続けている東京新聞の姿勢は素晴らしい。
歴史を紐解くまでもなく、どの国でもどの時代でも、社会の雰囲気を変えていく先導は学生である。やれ背後のセクトがどうたらこうたらとか、おしゃれなスタイルがああではないこうではないという野次が出てきそうだが、学生自身が考える一番効果的なスタイルを追求してほしい。
記事の最後にある、「僕らより下の大学1、2年生や高校生が僕らの方向をまねて、僕らが『だせえ』と言われるほどのデモをしてもらえるなら、それ以上のことはないな」という明治学院の学生のコメントが秀逸である。
「新聞」カテゴリーアーカイブ
「道徳の教科化 心を評価する危うさ」
本日の東京新聞朝刊に、道徳の教科化に対する批判の社説が掲載されていた。分かりやすい良い文章だったので引用してみたい。
小中学校の「道徳の時間」を検定教科書を使う正式な教科に格上げし、子どもの人格の成長ぶりを評価する。中央教育審議会が文部科学相に出した答申である。大人はそんなに立派な存在なのか。
現行の道徳は教科外活動とされ、検定教科書はなく、成績評価もなされてこなかった。これが二〇一八年度から「特別の教科」に位置づけられる見通しとなった。
国定教科書を用いた戦前の「修身」は愛国心といった徳目を国民に植えつけ、軍国主義教育の中核を担った。戦後の道徳教育はその反省に立って行われてきた。答申が時計の針を巻き戻す結果を招かないか気がかりだ。
国語や算数・数学、理科、社会などの既存の教科は、先生が自らの知識や技能、経験も踏まえ、子どもに伝授するのにふさわしい分野といえる。テストという物差しをあてがい、習得具合を客観的に評価することができるからだ。
道徳は対照的だ。物事の善悪や正邪にとどまらず、人間の生き方や価値観をも正面から取り上げる分野である。子どもの心奥に働きかけ、人格形成に大きな影響を与えるだろう。無論、テストでその発達ぶりを測ることはできない。
そこで、答申は、点数式を排除して記述式の評価を求めたが、子どもの内面の在りように成績をつけさせることに変わりはないのだ。先生個人の主義主張や好き嫌い、えこひいきが入り込む。
最大の問題は、何をどう評価するかだ。国が一律の物差しを作れば、自由かつ多様であるべき価値観や思想信条を統制することになりかねない。成績評価がついて回るから、子どもや親が無批判に受け入れてしまう懸念がある。
国の検定基準に見合う教科書が導入されるのも心配だ。愛国心を定めた教育基本法に照らし、重大な欠陥があると失格になる。合格を意識するあまり画一的な偉人伝や格言、素材に偏らないか。やはり戦前をほうふつさせる。
そもそも世の中の大人に、子どもの道徳性を評価する資格があるのだろうか。
小渕優子前経済産業相はお金を正しく管理できず、松島みどり前法相はうちわを配り、そろって法律違反を疑われて閣僚を辞めた。国の責任者に選ばれる大人でさえ、人格完成へまだ道半ばではないか。
貧困、紛争、温暖化…。社会の難題の解決には、人間の道徳心が肝要である。大人も子どもと一緒に悩み、考え、学び合う。その姿勢を欠いては、未来は危うい。
「東大闘争を語る」
本日の東京新聞朝刊に、山本義隆元全共闘議長が40数年ぶりに「私の1960年代」と題した講演を行ったとの特集記事が掲載されていた。
1960年代後半の「全共闘運動」の背景にあった思想的潮流について、山本氏は、戦後の「平和」と「民主主義」「科学技術の進歩」の3つのシンボルが絶対的な正義とされた社会総体への疑問だと指摘する。「全共闘」というと、やれ保守と革新や、代々木と反代々木、〇〇派と××派の対立といったセンセーショナルな報道で彩られるが、戦後体制そのものの矛盾を明らかにするきっかけとなるものであった。
一連の学生運動が現代に与えた影響について、「何だったのかと問われると返す言葉がない」「あと何年生きられるか分からないが、やれることを見つけ、やっていかなければならない」というコメントが印象的であった。
アジ演説の写真の印象が強かったので、近況の写真のたそがれぶりに少し残念な心持ちがした。
本日の東京新聞夕刊より
本日の東京新聞夕刊に、第2次安倍内閣で総務相に就任した高市早苗衆院議員と自民党の稲田朋美政調会長ら国会議員3人が、「国家社会主義日本労働者党」を名乗る極右団体の男性と議員会館で会い、ツーショットで撮った写真が団体のホームページに公開されていたとの記事が掲載されていた。団体のページには、ナチス・ドイツの「かぎ十字」やのマークが数多く掲載され、「東亜新秩序建設」や「わが人種の優秀性を主張する」「攘夷すなわち民族浄化を推進しなければならない」といった民族差別丸出しのスローガンまで並んでいる。
高市さんも、稲田さんも団体代表の素性や思想について、知らぬ存ぜぬの洞が峠を決め込んでいるようだが、写真で明らかなように堂々たる確信犯である。暴力的な行為や公共的の場での発言に及ばない限り、「国家社会」何たら党が私的に作っているネット上で何を発言しようが自由だし構わないとも思う。しかし、議員会館で明らかに不自然な人物の面会を受けるのはどうかと思う。
両名とも自分たちは安全な場に居ながら、若者や貧困層が犠牲になる戦争を賛美するどうしようもない議員である。説得も議論も不要であろう。こういった輩には、手前らが軍服着て槍でも銃でも担いで尖兵を切ってこいと言いたい。エルサレムの中心部でハーケンクロイツと日の丸を背に、日本民族の優位性でも他民族の侮蔑でも堂々と主張してくればよい。
また、国際的恥さらしをしている人物を閣僚に入れた安倍総理の責任を追究する責任が野党にはある。さてどこが批判の急先鋒となるであろうか。期待したい。
以下、英紙「The Guardian」より転載
Neo-Nazi photos pose headache for Shinzo Abe
Two newly promoted political allies of Japanese PM shown smiling alongside far-right figure Kazunari Yamada
Pictures from Japanese neo-Nazi Kazunari Yamada’s website show him posing with Shinzo Abe’s internal affairs minister, Sanae Takaichi, and his party’s policy chief, Tomomi Inada. Photograph: GuardianBarely a week after Japan’s prime minister, Shinzo Abe, overhauled his administration amid flagging popularity, two of his senior colleagues have been forced to distance themselves from rightwing extremism after photographs emerged of them posing with the country’s leading neo-Nazi.
Sanae Takaichi, the internal affairs minister, was among a record-equalling five women selected by Abe as he attempts to make his cabinet more female voter-friendly and to increase women’s presence in the workplace.
Takaichi, an Abe ally on the right of the governing Liberal Democratic party (LDP), was pictured posing alongside Kazunari Yamada, the 52-year-old leader of the National Socialist Japanese Workers party, on the neo-Nazi party’s website.
A smiling Takaichi and Yamada appear together standing in front of a Japanese flag.
Yamada has voiced praise for Adolf Hitler and the September 2001 terrorist attacks on the World Trade Centre. In a YouTube video Yamada’s supporters are seen wearing swastika armbands, while he denies the Holocaust took place and criticises postwar Germany’s ban on the Nazi salute, accusing the country of being “no different from North Korea”.
Takaichi met Yamada “for talks” at her office in the summer of 2011, according to her office. Confirming the photographs were genuine, a spokesman for Takaichi claimed her office had been unaware of Yamada’s extremist views at the time.
“[He] was an assistant to an interviewer and was taking notes and photos,” a member of Takaichi’s staff told AFP. “We had no idea who he was back then but he requested a snap shot with her. [She] wouldn’t have refused such requests.”
Media coverage prompted her office to request that the photographs be removed but by then they had already been widely circulated on social media.
“It was careless of us,” the staff member said, adding that Takaichi did not share Yamada’s views “at all … it is a nuisance”.
A second photograph shows Yamada standing alongside Tomomi Inada, another close Abe ally who was given the powerful job of LDP policy chief. Inada’s office was quick to distance the MP from Yamada, whose website celebrates the “samurai spirit” and proclaims that the “sun shall rise again”, saying it would be disappointed if the photograph led people to “misunderstand what she does”.
While there is no evidence that either politician shares Yamada’s neo-Nazi ideology their appointment has fuelled accusations that Abe is taking his administration even further to the right.
Takaichi and Inada have both visited Yasukuni shrine, which honours Japan’s war dead, including 14 class-A war criminals; last week, Takaichi said she would visit Yasukuni again, this time in her role as minister. “I’ve been visiting Yasukuni as one Japanese individual, to offer my sincere appreciation to the spirits of war dead,” she told reporters. “I intend to continue offering my sincere appreciation as an individual Japanese.”
China and South Korea view politicians’ pilgrimages to the shrine as evidence that Japan has yet to atone for atrocities committed on the Asian mainland before and during the second world war.
「ホームレス襲撃 見過ごしてはならない」
本日の東京新聞朝刊のコラムに、「ホームレス襲撃」について、注意を換気する社説が掲載されていた。
「平和」や「民主主義」をお題目にした海外の戦争に加担する前に、国内で生活をする住民の安全を優先させる社会でありたいと心から思う。
野宿者に対する差別の根底には、自分と同じではない者を排除しようとする社会不安や孤独が背景にある。そして、そうした不安や不満の蓄積が大日本帝国を盲目的に賛美する戦争に繋がっていったという経緯も合わせて確認しておきたい。
ホームレスへの襲撃は弱者を標的にした卑劣な暴力だ。その数の多い東京では約四割の野宿者が襲われた経験を持つ。痛み、屈辱はだれも同じはずだ。警察や行政当局は対策に動くべきだ。
東京・上野公園の周辺で暮らしていた六十代の男性がこの夏、自ら命を絶った。二年前からこの男性に炊き出しを続けていたボランティアの石崎克雄さん(67)は、男性が亡くなる前日に知らない若者に金属バットで殴られ、頭から血を流しているのを見た。男性はこの半年間に何度か通行人に殴られたり、自転車を投げつけられていた。「疲れた」と話した翌朝、駅前で亡くなった。悲しすぎる。石崎さんは一度暴行の現場を目撃したが、犯人は逃げてしまった。男性を死に追い詰めたことを悔やんでいる。
都内では一九九五年以降、野宿をしているというだけで襲われ、少なくとも十人が犠牲になった。二〇〇五年には墨田区で高校生に暴行され死亡する事件も起きた。無抵抗な人を襲う、理不尽な暴力は今もやんでいない。
民間支援団体の調べでは、東京都内の駅や公園などで寝泊まりする野宿者の四割が暴力を振るわれた経験を持つ。台東や新宿など十数カ所で暮らす約三百五十人から聞き取った貴重なデータである。集団で石を投げられる。鉄パイプで殴られる。花火を打ち込まれる。暴行された後に「死ね」と言われた人もいる。
見過ごせない犯罪だ。警察は団体の問題提起を受け止め、刑事事件として捜査すべきだ。行政も野宿者が危険に遭わないよう、生活再建や支援にもっと動くべきだ。加害者には若者や子どもが目立つという。ホームレスなら襲ってもいい。社会から追いだしていい。そんな心があるなら間違いだ。一方的に襲われて、どんなに怖いか。悔しいか。わが身に引き寄せて考えたい。
墨田区で小中学生が野宿者について学び始めている。地元の支援団体の協力で、野宿者を教室に招いて境遇を語ってもらったりしている。自分と異なる立場の人を知り、子どもは一歩ずつ偏見や差別を乗り越えていくのではないか。
加害者もまた、社会のどこかで傷つけられ、つまはじきにされている人たちかもしれない。地域の人々の無関心が弱者排除の連鎖を生みやすい。もう目をつぶるのはやめたい。